ゴッドファーザーⅠ・Ⅱそしてエピック版
★★★★★
監督 フランシス・フォード・コッポラ
脚本 マリオ・プーゾ
配給 パラマウント
DVD パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
こんにちは、しんじです
え~、ついに書くことになりました
映画レビューのブログを書く上でやっぱり避けては通れないかな?と前から思っていたのです
でもねぇ、この映画長いしストーリーが重いしね・・・
それにもう何回観たかもわからないくらい繰り返し観ているので、どこが良いか悪いかのちょっと判断がわからなくなっています
今回はエピック版について劇場版と比べながら書こうと思います。
これを書くにあたって劇場版ゴッドファーザーⅠ&Ⅱをぶっ通しでみました
実は劇場版を観るのは初めてなのですよ
僕が持っているのはゴッドファーザー エピックバージョンなのですよ。
「エピック❓」と思う方もいるかもしれませんね。
では、まず劇場版とエピック版の違いをざっくりと説明しましょう。
🟢劇場版
劇場版の「Ⅱ」はマイケル・コルリオーネ(アル・パチーノ)のお話にヴィトー・コルリオーネ(ロバート・デニーロ)のお話が挿入されている形になっていますよね。
そうすることでマイケルとヴィトーの比較などができる形になっているのです。
ヴィトーがファミリーを形成していく中で仲間ができ、守るべきものができる。
一方、マイケルはファミリーを維持し大きくしていこうとするが、守るべきものを見失ってしまいます。
ヴィトーの話が入ることでマイケルの孤独がさらに強調されます。
🔴エピック版
エピック版はゴッドファーザーの歴史を紐解く形になっています。
父と母、兄をドン・チッチオに殺されたヴィトー少年がアメリカへ移住。
大人へ成長したヴィトーがファミリーを形成する物語から「Ⅰ」と「Ⅱ」のマイケルの話までを順を追って進みます。
ゴッドファーザーは相関図がややこしいのに劇場版Ⅱではヴィトーの話まで絡んでくるので頭がパニックになってしまう🤪
そんな人には、エピックはとてもわかりやすい物語になっていますよ。
さらに、「Ⅱ」では挿入的だったヴィトーのエピソードですが、エピックではカットされた場面が加わっているのでヴィトーの理念や性格などがより鮮明にあらわされています。
ちゃんとヴィトー・コルリオーネの物語として成立しているのが大きな特徴であり、このエピックをみる大きな価値だと思います
ただ「Ⅱ」はヴィトーの話が挿入されることでマイケルの焦りや孤独が浮き彫りになる形になっているので、そういう意味では「Ⅱ」ならではの味わいが微妙になっているかもしれませんね。
ヴィトーとマイケル
「Ⅱ」でも強調されるヴィトー・コルリオーネとマイケル・コルリオーネの違いとは何でしょう。
劇場版で描かれるヴィトー・コルリオーネ(マーロン・ブランド)は比較的思慮深く慈悲深ささえ垣間見えるような人物に描かれています。
一方、マイケルは自分の考えにそぐわないものは排除し、自分に刃を向けたものにはたとえ兄でも執念深く容赦ない報復をする人物に描かれていますよね。
しかしエピック版で描かれるヴィトー・コルリオーネの若い頃は実はマイケルのように執念深い性格を持っていることがうかがえます。
さらに、報復には容赦ないです。
劇場版ではヴィトーは父・母・兄の仇であるドン・チッチオの腹をナイフで裂く場面がありますよね。
エピック版ではさらに「ヴィトー・アンドリーニをかくまうものは容赦しないぞ。」と町中に振れまわった手下2名をも殺害☠しているのです。
しかもその1名は老人になっているのですが船のオールで頭を何度もたたき割る様子が描かれています。
ヴィトー・コルリオーネは気性が荒く、執念深い性格をしているのです。
ドン・チッチオがこう言う場面があります。
「アントニオ(父)の息子ヴィトーは父親譲りの気性の荒さがあると聞く、生かしてはおけない」
そして容赦のない性格をあらわす場面としては、ヴィトー自らが
「敵を襲うときは確実に殺すことだ。」と言っています。
これはチンピラに襲われたドン・ファヌッチが生きていることを聞いたヴィトーが友達にふとつぶやく場面です。
後にヴィトーはドン・ファヌッチの胸と頬を拳銃で撃ち抜き、とどめとして口から頭を撃ち殺害します。
コルリオーネ家の気性の粗さは長男ソニー(ジェームズ・カーン)に受け継がれ、執念深さと容赦なさはマイケルへ受け継がれています。
さらには、温厚な性格はフレド(ジョン・カザール)へ、そして血はつながっていないけど、思慮深さはトム(ロバート・デュヴァル)が受け継いるようです。
さて、ではマイケルとヴィトーの大きな違いはどこか?
それは理念の違じゃないでしょうか。
ヴィトーは町でしのぎを搾り取るドン・ファヌッチをみてこう言います。
「イタリア人が同じイタリア人をなぜ苦しめるんだ。」
アメリカ移民でイタリア系は下に見られていました。
そのイタリア人のためになってこその力という考えが根底にあるのです。
そんなヴィトーに仲間が集わないはずがありません。
やがて妻は子を産み自分の家族ができ、ヴィトーは自分の仲間と家族をファミリーとして守っていきます。
一方、マイケルは昔から家族、兄弟に馴染むことができません。
そして父を守るために闇の世界に足を踏み入れる。
ドンになった後は父との誓いを守るためにファミリーを大きなものにしようとします。
家族を守ることすら父の言葉
「家族を守れないものは男ではない。」
この言葉を実行するためだけだったのかもしれません。
マイケルは父親の偶像を追い、誓いを守るためだけにファミリーを動かした。
だから気が付けばマイケルの周りには誰もいなくなってしまった。
当然といえば当然ですね。
マイケルは失ったのではなく最初から何も持っていなかったのかもしれない。
これは想像ですが、もしかしてヴィトーがマイケルをいつも気にしていたのは、マイケルの根底にあるものをヴィトーは気が付いていたのかもしれませんね。
意外にも長男ソニーが跡継ぎになった方がうまくいったのかもしれないですね。
抑えるところはトムが助言するし、年を取ればソニーの短気も落ち着くでしょうし。
ゴッドファーザーは間違った人物が権力を持った時の誤りを表しているようです。
会社でもよくある1代目と2代目の違いにも当てはめることができそうですね。
1代目の会社理念を2代目が理解していないとき、たとえ会社が大きくなろうとも別ものの会社になり下がり、最終的に倒産してしまうとか。
ちょっと例えが安っぽいかな(笑)
まぁ、いろいろ書きましたが、僕が時々ゴッドファーザーを観たくなる理由。
それは・・・
① 音楽
② 雰囲気
③ バイオレンス
特に音楽はとても素晴らしいと思います。
エピック版では劇場版ではカットされた場面で、少年がフルートを吹く場面があります。
叙情的というのでしょうか。
有名な曲以外にもところどころに心に沁みる曲がありますよね。
そして観終わった後の寂寥感。
バイオレンスなマフィア映画なのにね。
そうそうエピック版を観るうえでのメリットがヴィトー・コルリオーネ(ロバート・デ・ニーロ)の物語と冒頭の説明で書きましたが、それはロバート・デ・ニーロの存在があってこそです。
僕はロバート・デ・ニーロの最高のパフォーマンスはこの映画にこそあると思っています。
存在感・演技・かっこよさ。
どれも最高に素晴らしいと思っています。
特に年取ったヴィトー(マーロン・ブランド)が指☝を使いながら話をする様を若きヴィトーもするのですが、その指の使い方がかっこいい。
「俺は他人の礼は決してわすれない男だ。」
こめかみのあたりに指をかざしながら話す姿は怖さとかっこよさが混在しています。
そして老年のヴィトー・コルリオーネ(マーロン・ブランド)の声色を真似するように、少ししゃがれた話し方がすごく迫力あります。
ああ、そうだ☝僕は映画をよく吹替えで観ますが、ゴッドファーザーは絶対に字幕で観ることをお勧めしますよ。
え~と、アル・パチーノについて全然触れていませんね。
僕はあまりアル・パチーノに興味がないのですよ。
すいません。
この映画でアル・パチーノが出演できたのはマーロン・ブランドの古巣アクターズスタジオ出身だからみたいです。
ロバート・デュアルやジョン・カザール、デ・ニーロもそうらしいですよ。
当時アル・パチーノは客を呼べる俳優ではなく撮影所ではスタッフに軽くみられていたらしいです。
それがレストランでバージル・ソロツッオとマクラスキー警部を射殺した時の演技が認められて、撮影所でいびられることがなくなったらしいですよ。
僕個人的にはあのきょどり方はやりすぎのような気がしますが・・・
だってあそこまできょどってたらバージルに見破られますって!
「こいつ何かしようとしてるな?」ってね。
エピック版がいまどこで観ることができるかわかりませんが、観る機会がある人は、その機会を逃さないでくださいね。
今回は思いつくところを少しだけ書いてみました。
全部書くと膨大な記事の量になるので、これくらいにしておきますね
もっと詳しいところは他のレビューを書いている人にお譲りしますので、そちらを読んでください
とにかくこの映画はマフィア映画の金字塔であり未だにこの傑作を超えるマフィア映画はないと思っています。
まだ観ていない人はどうぞ暇と覚悟を持って臨んでみてくださいね
⚪ゴッドファーザーの話の流れ(ざっくり)
「Ⅰ」
5大ファミリーは麻薬ビジネスに反対のヴィトーの殺害を実行する。一命を取り留めたヴィトーの命を守るため末っ子のマイケルがマフィアの世界に足を踏み入れる。
激しい報復合戦となり、長男ソニー機関銃で惨殺されてしまう。
ヴィトーは他のファミリーと手打ちを図る。
ヴィトーの跡を継ぎドンとなったマイケルはヴィトーが寿命を全うすると、敵ファミリーへの強硬報復をしかける。
「Ⅱ」
ヴィトーの言葉「これからは表舞台にでて全てを操る側になるのだ。」
マイケルはファミリーの事業を表舞台へ拡大するためにいろいろ画策。
誓いを守るため一途にファミリーを上の高みに押し上げようとする。
だが、ファミリーの古い体質や他のファミリーの利権争いに思うようにいかない。
父への誓いに近づくためマイケルは自分の思いに同調しないものを容赦なく切り捨てる。
すべてはファミリーを守り大きくするため、そして自分の家族を守るため。
その思いとは裏腹にマイケルの周りからはひとり、またひとりと本当の絆をもつ人間が消えていく。
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